時事メガネ

気になった時事問題を少し追ってみる

ロヒンギャ問題代表会合に見るアジアxヨーロッパ思考様式の壁

 

 

先週取り上げたアマンダン海の難民について、29日にはタイのバンコクで代表会談がありました。ロヒンギャという言葉が使用されれば参加しないと表明していたミャンマーを配慮しながらの、ミャンマーの代表も含めた17カ国での会合となりました。

 

難民は実際、ロヒンギャだけでなくバングラディッシュ人も多く含まれていますが、難民増加と同じく重要視されているのがロヒンギャの人権についてですから、ドイツでは「ロヒンギャ首脳会合」と略式表現しているメディアも多くあります。

 

呼び方を変えることによって、会合で検討されるべき問題が変わる訳ではありませんから、それでも呼称に拘るミャンマーの条件提示は、むしろロヒンギャの権利蹂躙を重ねて世界に宣伝する形となりました。そのような経緯があると「インド洋に於ける不正規難民についての特別会合」という長い名称の会議看板の前での集合写真も白々しく見えてしまうものです。

 

しかし、言葉遣いに拘るという態度が国際的な批判を高めるであろうことはミャンマー政府も承知しているでしょうから、それ以上に大きな爆弾を国内に抱えていることが伺えます。そう考えると、要求に迎合し用語を避けたアジア諸国代表が、むしろ頼もしくもあります。

 

唯一「ロヒンギャ」を連呼したのが国連難民高等弁務官事務所のフォルカー・トュルク氏でありましたが、アジア諸国代表の座敷での接待に正義という土足を履いて駆けつけてきたような感があります。同じ文章を用語を変えて表現しても、同じ内容を伝えることが出来ますし、変えた用語がロヒンギャを示していることも伝わります。すると、彼も同じく呼称に拘っている訳で、これは、ロヒンギャの語をタブー視するミャンマーへの抗議ということになります。この正しいと信じることに対する真剣さというのは、やはり西欧人において顕著です。

 

これは日常の会話レベルに始まることですが、西欧文化圏の人々は正誤の判断が絶対的です。例えば、日本人と話していると、意見の相違は相違のままに据え置き、話題を変えることもありますが、ドイツ人は正しいものは誰にとっても正しいと、説き伏せようとすることが多くあります。これは、スーチー氏を批判する態度に対しても言えることですが、正しいと信じるものを通す、本当に正しいものは人々の理解を得られるという考えです。

 

しかしながら、ロヒンギャの問題に一番真剣に向き合っているのも、西欧諸国です。西欧諸国の強い反発がなければ、周辺国の対応も今の状態に至らなかったと思います。そう考えるとロヒンギャ問題への対応を主導しているのは西欧的思考ですから、それならば西欧のやり方に従うべきという気もしてきます。

 

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もうひとつ注目すべきは、ドイツの新聞では会合が一定の成果を生み出したと評価しているものもあるのに対し、日本の新聞では成果は無かったと評されていることです。

「一定の成果」として挙げられている事項に「人身売買業者の危険を警告する宣伝キャンペーンの実施する」「合法的な移民の方法を拡大する」「難民出身国の生活条件と人権状況を改善する」などがあります。

一方で日本では「協議平行線」(日経)、「具体的な成果を得られなかったことで、各国などの溝の深さを見せつけた」(産経)などと表現されています。

 

ヨーロッパ人が成果と認める事柄が、アジア人の感覚では具体性に欠けるということです。これは恐らく、今後これらの事項がどのように実行に移されて行くのかという課程で露見してくる違いではないでしょうか。ヨーロッパで「合法的な移民の方法を拡大する」と合意したならば、それは当然実行されて行く。一方でアジアでは、誰が、いつ、と決まっていない以上、立ち消えになる可能性をはらんでいるのではないでしょうか。

 

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マレーシアとインドネシアの緊急受け入れは、1年の期限がついています。日本にも館林市を中心に小規模のコミュニティーもあるようですから、一年もあればある程度の人数を受け入れる準備もできるかと思いますが、どうでしょう。

 

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参考記事

http://www.zeit.de/politik/ausland/2015-05/fluechtling-rohingya-myanmar-malaysia

http://www.taz.de/!5201524/

http://www.sankei.com/world/news/150529/wor1505290050-n1.html 

http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM29H6W_Z20C15A5FF2000/