時事メガネ

気になった時事問題を少し追ってみる

ライフ・バダウィ「この中の誰かが」

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EU人権賞とも呼ばれるサハロフ賞の授賞式が、明日16日にストラスブルグにて行われます。今年の受賞者はサウジアラビアのブロガー、ライフ・バダウィ氏です。服役中の本人に代わり、妻エンサフ・ハイダル氏による代理受賞となるようです。

 

サウジアラビアは様々な分野の人権問題で、国際的な価値観と一線を画していますが、先週は女性の参政が10年越しに実現し、地方選で初めて女性が当選したということです。とはいえ、透明な投票箱の周りに黒いブルカを来た女性達の立っている写真を見ると、文化の違いに収まらない根源的な問題を突きつけられるようです。今回のことが内からの変化なのか、外に見せる為だけのものなのかは、まだ分からないという気がします。

 

ただ、変化への要請が内部から働いている場合には、外に見せる為だけのつもりだったものが、抑制の利かないダイナミズムを見せることがあります。そのような力の潜在する変化への要請が、個人ではなく社会のものとなる為、或は、ある閉鎖的社会がより国際的基準・普遍的価値観に近づいていく過程に、今日、インターネットやソーシャルネットワークの普及は欠かせないものとなっています。そういったメディアを利用し内外に向けて意見を述べていた一市民が、その活動を理由に自由を拘束され体罰を受けている象徴的な例が、バダウィ氏です。

 

バダウィ氏は、語学学校とインターネットカフェを経営し、妻子と暮らす一般市民でしたが、ブログでの発言が「イスラム教を侮辱している」とされ、逮捕されました。問題とされたのは、バダウィ氏が、信教の自由について語ったことにあります。あらゆる宗教及び無宗教イスラム教と同等に扱い、各人が自由に宗教を選ぶ権利を持つ国家がよい、とした発言が、イスラムへの重大な侮辱と見做され、最終的に禁固10年、罰金、鞭打ち1000回の判決を受けました。

 

バダウィ氏の弁護を担当していたのは、姉の夫である人権派弁護士ワリード・アブ・アル=カー氏ですが、彼も2014年4月収監され、15年の判決を受け服役する刑務所では暴力に晒されています。2015年1月のインタビューで妻ハイダル氏は、皆が引き受けたがらないためバダウィ氏は弁護士を見つけられないと話しています。この人権弁護士アル=カー氏を始め、サハロフ賞に相応しい活動家は他にも多く居るのですが、そういった人々の中でバダウィ氏が選ばれたこと、そしてかねてより国際的な注目を浴びていることには、その活動の「普通さ」を上げることが出来るでしょう。

 

無責任なものから真摯なものまで、インターネット上で自由な表現をすることに慣れている我々からしてみると、インターネット上の記述だけで禁固10年というのが法外です。それに加え、彼の発言の正当らしさや鞭打ちの異質さが、この事件を、単に文化や法制度の違いでは済まされないものにしています。

 

リアド訪問の際にバダウィ氏について触れたスイスの外務次官イヴ・ロシエは、刑は停止され、サルマン国王による恩赦を準備しているとの情報を経ました。サハロフ賞受賞決定後という時期に恩赦の噂が流れた為、授賞式までに釈放されるのかとも思われました。ところがバダウィ氏は、恩赦どころかシャバット中央刑務所へ移送されます。この刑務所は街から離れた砂漠地帯にあり、最終判決を終えた囚人が収容される場所であり、サウジ政府がバダウィの件に関して繰り返し審議中としていたことに矛盾するということです。これに抗議してバダウィ氏は火曜日からハンガーストライキを行っているそうです。

 

 

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以下に、ブログ開設から今週までの主な出来事を時系列に示しておきます。

 

2008年   ブログ設立

2011年   公訴

2012年6月 収監

2013年    判決禁固7年、鞭打ち600回 バダウィ氏は控訴

2014年4月 義兄で担当弁護士のアル=カー氏が拘束される

         5月 判決禁固10年、罰金、鞭打ち1000回

2015年1月 最初の鞭打ち50回の執行

           10月 サハロフ賞受賞の決定 

           11月 スイスの外務次官ロシエによる恩赦の情報

           12月8日 ハンガーストライキの開始

           12月16日  サハロフ賞 授賞式

 

 

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ドイツ語版に寄せて書かれた前書きより、一部を引用(訳、略は引用者による)します。

 

刑務所からの手紙 2015年2月

 

(...前略)他の多くの人がおそらくそうするように、私も以前は床につく前にもう一度、扉や窓の戸締まりを確認した ――犯罪者への不安からだ。そして今、その中の1人として生きている。(...略...)雑居房のベタベタしたトイレの壁の、何百もの落書きを読んでいると、一つの筆跡が私の目に飛び込んできた:「世俗主義が答えだ」。止めどない驚きに圧倒された。たった今見たものが本当にそこに書いてあるかを確かめる為に、私は目をこすった。(...略...)あらゆる方言のアラビア語で書かれた何百もの猥雑な言葉の中に、このような言葉を見つけられたということは、この刑務所の中に少なくとも1人、私のことを理解する人が居るということだ。何の為に私が闘い、そしてその為にこうして囚われているかを理解する誰かが。(後略...)

 

 

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ここに彼の、そして人間一般の、表現することの動機がよく現れています。バダウィ氏は、社会をより自分が正しいと信じる方へ導くべく意見を述べたことにより、社会を危険なものにする集団の方に分類されたわけです。そして人々から理解されないという孤独の中で、しかし彼を理解するものが居るということに気付く、これは当然、その人物が同じような孤独を生きているということを示してもいます。一見無駄の様に思える活動も、誰の目に届くか分からなければ、いつどのように作用するのかも分かりません。自分を信じ続けるバダウィ氏、アル=カー氏、その他多数の人々が、命の危険を冒し、自由と引き替えに伝えたかったことが、社会に作用すれば、その苦しみも報われるでしょう。

 

 

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参考

 

Badawi, Raif (2015): 1000 Peitschenhiebe. Weil ich sage, was ich denke. Ullstein, Berlin.

http://www.faz.net/aktuell/feuilleton/medien/saudischer-blogger-raif-badawi-angeblich-begnadigt-13938725.html

http://www.zeit.de/politik/ausland/2015-03/raif-badawi-menschenrechte-saudi-arabien

http://www.zeit.de/politik/ausland/2015-03/raif-badawi-blogger-saudi-arabien-buch-ullstein

http://www.zeit.de/politik/ausland/2015-10/sacharow-preis-europaeisches-parlament-raif-badawi

http://www.zeit.de/2015/08/blogger-raif-badawi

http://www.zeit.de/2015/19/raif-badawi-blogger-saudi-arabien-eu-parlament-hilfe

http://www.spiegel.de/politik/ausland/saudi-arabien-raif-badawi-tritt-in-hungerstreik-a-1067241.html

http://www.zeit.de/2015/18/raif-badawi-saudi-arabien-anwalt-misshandlung

http://www.raifbadawi.org/news/raif-badawi-news/item/639-statement-from-the-saudi-ambassador-to-the-united-nations.html

http://www.raifbadawi.org/news/item/768-raif-badawi-on-hunger-strike-as-he-is-transferred-to-a-remote-prison.html

 

 

我々は何を知りたい(と思わされる)か

報道の在り方に関する独り言の連続になってしまいますが、今朝は象徴的な状況がありましたので、短いものをひとつ。

 

先日のパリ多発テロ事件では、メディア批判が各方面で発生しました。例えば、テロリズムとどう戦うかについて議論するもの、パリとベイルートの取り扱われ方の差を疑問視するもの、難民問題と絡めて論じるものや、そういった関連性の操作を危惧するもの、と言った具合です。

日本でもニュースから一般人の発信まで、様々な場で取り上げられていましたが、日本での批判には、世界的時事に関する日本の報道の反応の遅さ、というものもありました。その時は、各媒体の報道と情報を同列に配置するその批判が妥当なものかは判断しかねていたのですが、日本に帰ってくると報道系娯楽番組の多さ、その内容の繰り返しや重複には、辟易させられるものがあり、今更納得しています。

 

数日毎に旬な話題があるようで、例えば今朝は「気象予報士が泣いた」という、そもそも報道すべき内容かも怪しい上に昨日も放送されていたことを、丁寧に再現CGなどを付けて状況説明していました。これが複数局で同時に流れていたので、海外のニュースチャンネルに廻してみるとサンバーナーディーノの事件。こんな事件はテロップで流すぐらいはしても良さそうなものだという気がします。5時間程してからテレビニュースで流れましたが、やはり情報収集という面ではインターネットが速いですね。ただ、我々一般人はそこまで早く知る必要もありませんし、現時点では情報がないというニュースですから、5時間後の短いニュースでも充分だった訳です。問題は比較的重大なニュースがあまり報道されないこと以上に、重要でないニュースが流れて来るテレビの在り方でしょう。私はネット派のモグラですから、10年程テレビのない生活をしていたので、必要以上にテレビの流れている空間に居候している今日この頃、ストレスが心臓に来ます。

 

..という話題から、パリ同時多発テロのメディア批判についての挫折記事へ。

 

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パリのテロに伴う各方面での議論は、それぞれを検証する価値もありますが、注目すべきはそのような議論が、突如蔓延したという現象です。メディアでの扱われ方の差というのは、こちらのブログでも、これまでに何度か触りながらも手に取らなかった話題ですから、これを機に一度考えてみようと思いました。

 

ドイツでのメディア批判で最も多かったものは、パリの同時多発テロ前日に起こったベイルートでのテロについて殆ど報道されていないではないか、というものです。事実から先に述べて置くと、ベイルートに関する報道は各メディアでしっかりと行われていたのですが、そのような批判が突如蔓延した事の意味については考えてみる必要があります。

パリとベイルート、報道はどちらについてもされていますが、取り上げられ方は当然違います。これは別に今日に始まった事でもなければ理由がない事でもありませんから、やはりパリの方に注意が向く自分自身を観察しながら、取り上げ方の差の背景に目を向けてみたいと思います。

 

パリに注目する事を批判する発信を読んでいて気が付く事は、注目の理由を、人々の共感の差と感じているものが殆どであるという事です。これはロヒンギャの回で感じた「命の重みの差」です。しかし、今回の件に関しては、非西欧文化圏でもパリへの感心が大きいという事からも言えますが、共感という点に絞り切れない様々な理由があります。

これは事件の特殊性がやはり一番の理由です。観光や商業がそれなりに発達しているベイルートとはいえ、ヒズボラの本部があるレバノンと、大戦後の平和と自由を謳歌して来たパリとでは、衝撃が違います。「地域の持つ日常のイメージとのギャップ」です。そして、これはブルンジルワンダのメディアでの取り上げられ方の差にも言える事だと思いますが、発生時期の近い類似した出来事は規模の大きい方に注目が集まるという事もあると思います。「規模の差」とします。そして最後に「情報源の量の差」も挙げる事が出来るでしょう。ロヒンギャブルンジ、イエメン、メディアの手に届く情報が少なければ、報道できる事も限られてきます。しかしこの情報量の差は、注目されない出来事に注目しない理由にはなっても、注目されているニュースに注目しない理由にはなりません。ジャーマンウィングス墜落事故のときもそうでしたが、情報に対する要求が、明らかになっている情報の量を上回るという現象が起こるまでです。

 

パリ同時多発テロにおいても、時期尚早の発表や報道、被害者感情に似た社会全体の一体感が目立ちました。シャルリーから4U9525、アランクルディちゃんまで、様々なニュースに共通してみられた、大衆の参加意欲です。ネットユーザーの参加意欲もそれに対する批判も、なぜか自分の道徳性の正当化に徹していて、熱を帯びています。

ここでも、ソーシャルメディアの使用を通じて、我々の意識の在り方が変わったということが影響している様に思います。ハッシュタグを付けたり、シェアをすることで、イベントへ参加することに慣れた我々ですから、参加している、既読であるということを示す必要があるのです。メディアの情報提供と大衆の情報要求、どちらが先とも言えないということはつまり、どちらもが作用し合っているということですが、このような構造がここでは個人の動機として働いています。つまり、共感を持っているから注意を払うのか、注意を払うことで、共感を持っていることを感じたり示したりしたいのかが混同しています。

 

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「私の憎しみを君たちにあげない」などという感動的なインタビューに人々が夢中になっている隙に仏軍爆撃機が出動していて、なんだか涙も乾いてしまいますね。

..というわけで来週はドイツのドイツの軍事作戦について..自分へのプレッシャーです。

 

 

 

難民報道雑感

時間の速さ(※私は敢えてこの漢字を使います)は恐ろしいですね。あれよあれよという間に、前回更新からまた二ヶ月近く経ってしまいました。お久しぶりの上に唐突ですが、今日は少し自分のことについてお話しをしてから始めようと思います。忙しい忙しいと、誰も訊いていないのを忙しいなどと書いていると、暇に見えるかもしれませんが、忙しかった。そして、ニート晩年などというハンドルネームを下げたまま、とうに35歳になっています。それでは非ニート一年目へと突入したいところですが、フルタイムの仕事もフリーランスの仕事もすっきり辞め、数日前に帰国しました。これで晴れて本当の無職となった訳ですが、右も左もパスモも何もよく分からない浦島太郎状態です。先ずは、さっさと慣れて、中年社会人デビューしたいものです。そんな訳で、久しぶりの日本で、雑誌や平積み状況、ワイドショーなどを観察しています。色々と驚きと訝しみを持って観察しています。祖国なのにカルチャーショックです。

取り敢えず暇になったので、ブログ開始当初の「週刊」という目標を、せめて無職の間は達成していければと思います。

そんな風に帰国準備などでバタバタしていた為、少し書いては、短い内に話題が古くなっては挫けたりなどしていたのですが、これからは「より短くより頻繁に」を目指すべく、今日は、そんな挫折メモをひとつ再利用、とします。

 

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ドイツに暮らしていると、日本の難民政策や多数派世論には、目を耳を疑う事ばかりです。色々と申し上げたい事はあるのですが、特に気になっているのは、難民を危険人物の様に扱う思考方式です。こちらでもそのような流れはあるのですが、難民の出身地への知識も社会に占める外国人の割合も異なる日本では、メディアでの扱い方について、特に配慮をする必要があると考えています。

 

「欧州」難民問題として距離を置きながらも、日本でも注目されていた難民の問題ですが、日本の報道を眺めてみると、難民流入とその問題という取り上げ方が多すぎる様に感じています。難民の流入は当然問題を孕みますから、もちろんそれも大切な事なのですが、難民とその問題という組み合わせでばかり報道される事により、難民を受け入れたくないという国民感情がより強固なものになっていきます。最近ではパリの同時多発テロを受け、反対派は根拠をひとつ増やした訳ですが、そもそも身分証の真贋も明らかにされていませんし、理性的に考えればそのような落とし物をする事も不自然です。

 

先ずは、多数派ドイツ人と難民問題の考え方を少しご紹介したいと思います。

メルケル首相が難民問題の受け入れを発表した時に、あるドイツ人の友人は、「何年も前からある問題なのに、この時期に急に受け入れを表明するなんて、選挙の為の人気取りだ」などと言っていました。この批判の是非はさておき、その前提に、選挙で有利になる規模の国民感情が、難民を助けたいという方向に働いているという事があります。

流入が始まってからも、日本の報道では右翼の集会や難民宿泊施設への放火などが、併せて取り上げられている事がありますが、一部の極右というのは、日本でいうと街宣車で騒音を撒き散らしている人々のようなものです。日本でのヘイトスピーチの様子を取り上げ、最近の日本はこうだ、と報道されれば、平均的日本人は堪ったものではありませんが、同じ様にドイツの極右勢力も平均的ドイツ人を辱めるごく一部の流れなのです。こちらでの雰囲気としては、むしろ難民を歓迎する世論が盛り上がっているという感覚の方が強いので、難民問題と極右の活動が併せて報道される事には違和感があります。

 

ここで、ドイツ人の難民を受け入れていこう、という世論の作られ方ですが、我々市民が感情に流され易いというのは世界的な傾向で、こちらでも所謂「可哀相な写真」が大変な効力を持っています。しかし一般的市民も、可哀相だからと単純に歓迎しているだけではなく、派生し得る問題をそれなりに理解した上で受け入れを支持しています。既に日本とは比べ物にならない数の異文化が混在していますから、派生し得る問題の多くを市民は生活の中で感じています。日本式だと、では受け入れない方が賢明だ、という論理になりますが、この場合、思考がそこで停止してしまっています。そこで停止せずに考えるという事は、その方が賢明だから受け入れなかった場合、この人たちはどうなるのか、という事です。ロヒンギャ問題の際にも顕著だった、「うちは困るよ」という反応は消極的殺人です。「うちは困る」日本人は、シリア難民はサウジアラビアに行けば良いと考える訳ですが、そんな押し付け合いを待っていられる程に悠長な状況であれば、これほど大量の難民など発生しないのです。ここに日本式の鈍感さがある訳ですが、この原因として考え得るものが、上に挙げた難民問題の報道での扱われ方です。何故難民が発生したのか、その人達が過去に送っていた生活がどれほど普通のものであったか、現時点での生活の場がどのようなものになってしまったのか、こういった事をより盛んに難民問題と併せて報じるべきなのです。

 

パリ多発テロのテロリストに難民や移民二世の姿を見れば、受け入れをやめようという感情が働きます。しかし我々は被害者の方にこそ難民の姿を重ね合わせるべきです。テロリストを作るのは人種でも宗教でもありません。テロリストを作るのは社会に拒絶された孤独です。パリの被害者の様に普段の生活が暴力に破壊された人々が、住み慣れた故郷を離れ、命の危険を冒し彷徨っています。ここで、極端な仮定で思考実験をしてみます。パリに今回のようなテロリストが大量に流入、テロリストに街を支配される。そしてそのテロリストと戦う名目で、外国の武力が市民を巻き込む空爆を実施する。家や仕事を失い幼児を連れて命がけで移動した土地では、自分と同じ母国語を話すテロリストが居る為に受け入れを拒まれる。労働目的の難民申請があったからと、自分とは関係のない人の行為を理由に拒まれる。ある別の地では言語や文化的背景が異なるから溶け込めないでしょう、と受け入れを躊躇される。そんなことはないでしょう。この難民がパリ市民であれば、受け入れ超後進国の日本ですら、より多くの手を差し伸べるのではないでしょうか。なぜでしょう。

 

 

「難民とその問題」も考えておかなければいけない大切な事ですが、難民とその発生過程にもっと目を向けなければなりません。難民流入の齎しうる問題を、日本人よりもずっと良く認識しながらも、安全な場所に辿り着いたことを歓迎するドイツ人の姿が、人間らしいものであると思いたいと考えています。

 

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..などと書いた数日後、ドイツ軍事作戦参加のニュースを日本から見ました。これは来週のテーマにしたいです、とここに書いておくことで来週の自分にプレッシャーを掛けます。

 

 

秋雨前線異状なし

 

ベルリンはここのところ、シトシトとはっきりしない雨が続いており、あまり気分がぱりっとしませんので、今日は少し砕けた文体での更新で失礼します。

 

安保法制の強行可決から早3週間、オンライン上ではジリジリと安保肯定派の意見が幅を利かせてきているように見受けられます。忘れたのか慣れたのか、喉元を過ぎると諦めてしまういつもの日本人の姿が浮かび上がってきます。そうならないよう頑張っている人々も、たくさん要るようで頼もしいのですが、こちらから観察し易いインターネット上での活動に関して言えば、何だか右翼の人々の方が熱心なようで、これは何か労働時間と関係があるのかもしれませんが、わかりません。レベルの高低に関わらず数が当たるので、世論の流れも傾いているのではないかと不安になります。不安紛れに、レベルを保留して数で対抗と思い、軍事ド素人の私が今日は軍事面について考えてみます。

 

安保法制賛成派と反対派の議論を眺めていると、批判合戦というか、内容から方法論へと本質を外しつつ、二極化が進んでいる様に思われます。そこで気になるのが、議論の進まなさの原因ですが、その最も大きな理由として論点のずれを上げる事が出来ます。賛成派は国防だ、国際社会との協調だと軍事面に注目するのに対して、反対派は、そもそも憲法違反であるから無効だという点から始めたいのです。憲法に関する問題が双方向の議論とならないのは、単純に賛成派から見ても違憲であるからでしょう。いや合憲だ、と頑張っている人も要るようですが、これは賛成派が見ても可哀相になるのでは、と思うぐらい苦し紛れです。一方、反対派はなぜ安全保障の面から攻めづらいかと言うと、これは、新安保法制が安全保障の為に有効だということではなく、反論に必要な情報が足りない事にあると思われます。「もしこうだったら、こうかも」という論理に対して、なぜ「もしこうだったら、こう」なるのかの根拠が分からなければ反論への足がかりがありません。

 

前回は国連憲章に注目し、最終的には社会がうまく行く為には信頼が必要という事を訴えたつもりでした。読み返してみると、我ながらの楽観的平和主義で、もちろん、それが正しいと思ってはいるのですが、説得力という点に於いて弱い様に感じました。この間、友人との(家庭内の諍いについての)会話の中で、「お前はガンジーのせいで何人死んだと思っているんだ」と叱られましたので、今日は少し現実的な側面から検討したいと思い、軍事面に注目、と思い切ります。

しかし根が楽観的ですから、切り口を変えたところで、姿勢は変わりません。ただ、悲観的である事が現実的かと言うと、そんなことはなく、私が「有事にはきっと国際社会が助けてくれると信じている」事と比較しても、「平和憲法を守る日本が日米条約を突如破棄したアメリカに守ってもらえずに人命に関わる攻撃を受けている事態に、国際社会がカウチで眺めている」という想像の方が非現実的です。それ以上に、私の楽観視と比較にもにならない程度において、「中国が攻めてくる」と思う事は非現実的です。中国こそ損得勘定の出来る文化ですから、誰の特にもならない事をするはずがありません。絶対に何もしてこないと言い切れない謎の国家が北朝鮮ですが、これは自衛隊の戦力が上と考える方が自然ですから、やはり理由にはなりません。北朝鮮もそんな事は承知の上でしょうから、他国に攻め込むつもりなど毛頭無く、「何をするか分からない感」の演出によって、他国を牽制しているに過ぎないでしょう。

 

さて、軍事的な側面の中で、私が注目するのは以下の3点です。

 

1.日米同盟と集団的自衛権

2.戦争の形の変化

3.自衛隊の役割

 

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1.日米同盟と集団的自衛権

 

まずは、集団的自衛権の必要性を訴える時に挙げられた、日米同盟についてですが、危機感を煽りたいという事はよく分かるのですが、なぜそういう論理になるのかがよく分からない。大体、憲法を変えてしまえという人々の主張に、アメリカが勝手に押し付けた物だから、などというものがありますが、アメリカの顔色を窺ってその憲法に違反することと、どう理論を整合させるのでしょう。

逆に反対派では、そもそも日米安保条約に、集団的自衛権を日本が行使しないことが明記されているのだから、アメリカの為というのは嘘だ、という意見もあります。しかし私が思うに、日米安保条約に明記されているからこそ、今回の流れはアメリカの意思を汲むもの、或は何らかの圧力があった、低く見積もっても了承を得た上での発言、と考える方が自然ではないでしょうか。日米防衛ガイドラインは、どのような流れで新内容に改訂するに至ったのでしょうか。もし日本側の意向が強く反映された変更であったにも拘らず、勝手に「抑止力が損なわれ得る」などと総理大臣が発言していたとするならば、その発言こそが「信頼を著しく傷つけ」るものですから、何らかの抗議があるはずです。

本当に何かあった時に守ってくれるかなど、本当に何かあるまで分かりませんから、幸いその何かが無い平和な状態ではやはり、約束した事は守るだろうという他者への信頼しかありません。これはアメリカが好戦的な国家である事を考慮するまでもなく、条約の力です。条約が、ある一国との関係に於いて機能しなければ、その他各国との関係が損なわれる訳ですから、アメリカが守らない訳がありません。そんな条約上の「抑止力が損なわれ得る」と言うならば、やはりその根拠を挙げなければなりません。

これは、もし強盗に襲われた時に助けてくれないと困るから、警官に菓子折りを送っておこうという発想です。これがもし、警官の匂わせた提案であったならば、流行りの言葉で言うところのパワハラですね。しかし恩だの義だのは、アジアの文化であって、西洋文化は契約社会です。身近な例で言いますと、前回奢ってもらったから今日は私が奢らなきゃ、と律儀なのはアジア人ばかりです。西洋人相手に見返りを求めて奢るなら、その内容を奢る前に確認しなければ無効です。では、そのような確約を日米が交わしているのでしょうか。そうかも知れません。ではそれを公開して国民の理解を得なければいけません。いや、公開したところで、理解を得る事は出来ないでしょう。憲法違反してまで、集団的自衛権の行使を可能に変更しないと、守ってくれないのならば、条約に反して後付けの条件を加えていくなら、沖縄に土地と平穏を返せ、という事です。

もしもこれが、安倍首相の勝手な発言だとしたら、これは大変な事件です。ドイツには「民衆煽動罪」というものがあり、丁度先週、ペギーダの創立者がフェイスブックの書き込みのせいで、これで公訴されましたが、日本にも是非欲しい法律です。と、話が跳躍してしまいましたが、根拠無く不安を煽ってはいけませんよね。

 

 

2.戦争の形の変化

 

小咄ですが、先週美容院に行った私の母が電話で訴える所によると、日本では最近インターネット上で人気の出始めている予言者とやらが居て、この人が第三次世界大戦を予告した事が恐ろしい、と美容師が言う。白髪を染めてもらいながら母が、未来が予言されうる訳も第三次世界大戦など起こるはずも無いと言ったが、聞き入れてもらえなかったとのこと。

この意見の相違の最も大きな原因は、恐らく両者の想像の中の戦争の在り方の違いでは無いでしょうか。母の中での世界大戦と言えば、前回の第二次世界大戦ですね、老若男女が国の為に命を差し出す、国と国との戦いです。現代の戦争というのは、攻撃もピンポイント化していますし、無人機やドローンなどを使った方が、素人の学生などに銃を握らせるより効率が良いですから、確かにあのような世界大戦は無いでしょう。もっと遡れば大将が草原で、「やあやあ、我こそは~」とやっていた、それが近代では爆弾などを使った戦争となった、形は違えど戦いです。そして今度は無人機やドローンだったり、サイバー攻撃だったりと、また形が変わりつつあります。福島の事故で弱みを見せつけた日本、日本にダメージを与えたければ原発の電力系統数カ所をテロ攻撃で狙えば良いのですから、昔の様に「宣戦布告~」「大艦隊~」などとやられる心配は無くなります。

また、形においてだけではなく、誰と誰が戦うかと言う点に於いても変化が見られます。国際化もグローバル化も進んだ現代に於いて、国家という枠組みが民衆のアイデンティティに占める割合が減っていますから、国への帰属意識も、特定の外国への敵愾心も薄れて行きます。そもそも、戦いを始める時にどうするかというと、独裁体制対民主主義だったり、イスラム教キリスト教だったり、シーア派対スンニ派だったりと、国対国ではない対立の枠組みが作られていきます。ただそこで生まれたというだけの国家の為に戦えない市民も、正しいと信じる主義や信条の為に戦えるという事でしょう。先の大戦でもそもそもは植民地主義打倒ですとか、帝国主義打倒という大義名分が先にある、そして戦争になって行く過程で、他国への敵愾心や自国への愛国心が深められて行きました。アフガニスタン戦争にしてもタリバンだったり、イラク戦争にしてもフセイン政権だったり、倒すべき相手があり、それが国と言う枠組みに掏り替えられて行く。

では日本はそんな枠組みを取った時に、どのグループに入りうるでしょうか。国全体を攻撃する理由となりうる目立った条件は特にありません。国の名の下に海外で被害にあった日本国民について考えれば、近いところでは、シリアの誘拐事件、パキスタンの銃撃事件、ともに「十字軍に加担する日本」が標的にされました。もちろんそれは戦争ではなく、テロリズムだったわけですが、テロリズム対反テロリズムこそが目下の世界戦争の形です。反テロの旗を揚げながらテロに繋がる憎悪に油を注ぐアメリカに協力すればする程に、日本もテロリズムの対象になっていきます。

 

 

3.自衛隊の役割

 

平和主義を自称するなら、自衛隊も廃止すべきと思っているかというと、そんなことはなく、維持で良いと思っています。これは多くの国民が思っている事ですが、大規模災害の際の自衛隊の活躍は見逃せません。ではそれを、集団的自衛権の批判に使った「憲法に従うべき」という考えとどう矛盾させないかと言うと、ずばり「戦力」の新解釈です。憲法では「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄」するため「陸海空軍その他の戦力」を放棄するといっているのですから、「戦わない為の武力」です。これは、前回批判した自衛の論理の応用です。全ての戦争が自衛と言い得るのですから、全ての武力も戦わない為の武力と見る事が出来ます。例えば、自衛隊が予算の多くを注ぎ込んでいるミサイル攻撃に対する防衛ですが、これは多くの国民が必要と感じている物だと思います。さて、ここで使われる迎撃ミサイルですが、武力でないという事には無理がありますが、戦う為の武力ではないという事が出来ます。「戦わない為の武力」です。サイバー攻撃への対応然り、生物化学兵器の処理然りです。2.にも述べた様に、戦争の形が変わって来ていますから、これに対応する形に自衛隊の力の入れどころも変わって来ている事と思います。

その上でもう一度、自衛が戦争へ繋がる事態を考えてみます。これは、守る為と言いつつ、必要以上、若しくは不必要な攻撃をする事にあります。この点に注目すると、今回の安保法制への謎は深まるばかりです。安倍総理の説明も説明になっていないし、賛成派のどの論理もしっくり来ない。いっそ安倍総理は理由説明として、シンプルに「親族へのコンプレックスに起因する、僕の個人的なフェティシズムです。」などと言ってくれれば、国民も右拳で左掌をポンと叩いて納得できるのです。

 

では消極的武力を持つべき自衛隊が、どこで積極的な活躍を見せて行くかと言うと、これはやはり災害援助でしょう。起こらない可能性が高い有事に備えるより、起こる可能性が高い自然災害の方にもっともっと重心をずらして行くべきではないでしょうか。「起こる確率」以外にも理由はあります。ひとつは、自然災害は交渉により防ぐことができないという事です。多方面での交流や共同事業で関係を良くすることで、発生しないよう働きかけることが出来ないという事です。もうひとつには、災害援助は自国で不要な時に他国で活用できる、という点があります。今、日本で戦争が無いから、アメリカの為に戦おう、とやれば、敵を作ります。今、日本で災害が無いから、他国で災害救援活動をしよう、とやれば世界中にTomodachiが増えて行きます。特に突発的自然災害の多いアジアで、大いに活躍できる事でしょう。

 

長々と理想を連ね、勝手に思い描く未来の自衛隊の姿、所持戦力を非攻撃型防衛に完全移行、世界各地で災害援助、こうなったらもう名前も変えて欲しくなってきます。平和救命隊、災害救援隊、どれもしっくり来ませんが、取り敢えず緊急時救援隊としましょう。中国でも、災害救助では軍隊が活躍していますが、ああいった作業を、我ガ国ノ緊急時救援隊と合同で行えば、両国隊員が銃を捨て、肩を抱き合ってイマジンを歌い、などと夢は尽きないですね。

 

先週の楽観主義に説得力を付けようと書き始めた今週の記事、却って楽観主義が炸裂してしまいました。でも、じめじめした気分が少し晴れました。秋の長雨は良いものですね。

積極的平和、即ち暴力の破棄

お久しぶりです。と語りかける程、読者も居ませんが、記事の更新をしなかった3ヶ月間の間にも、難民問題の検索から迷い込んで来て下さった方なども居たようで、以外とマメに更新していた時期より閲覧数が増えていたりもし、まだまだ辞めるつもりはありません。

 

日本のニュースでは安保法案が連日話題となっており、19日の参議院本会議での可決は、こちらでも小さく扱われていました。大変大きな問題を大変軽々しく扱った政権への市民の怒りは、一過性のものではなく、持続的な政治意識の高まりに繋がっていくような感じがします。

相変わらずブログ更新の為の時間が取れない私ですが、ああ、10万人の日本人も、皆忙しいのに頑張っていると思い、ほんの短い記事でも頑張って書こうと思うに至りました。

 

ヤフーニュースで学者リレートークの要旨※1が出ていて、どの方の意見も興味深かったのですが、特に印象的だったのが、石川健治教授の「私のようなものでも」というお話で、それぞれの仕方での政治参加を呼び掛けるものでした。このお話に感化された憲法も軍事も専門でない私のようなものでも、自分の視点を生かしたことを少しずつでも書いていければと思いました。これまでのカテゴリーで言えば「独り言」ですが、長期継続的に、この問題を扱っていくことを目指し、新カテゴリー「私のようなものでも」とします。

 

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反対活動が広がっていく裏で、賛成派も少数派ながら理論を堅めつつある様に感じています。普段あまりこういった問題を意識してこなかった中間層というのは、分かり易い意見に感化されやすいですから、反対派も問題点をよりクリアに分けて提示していく必要があります。その場合、多岐の方面に渡る問題点を個別化して明示していくことが大切であり、そのとき、理論の簡潔化にならない様に注意しなければなりません。あまり極端に飛躍した簡潔化は、その部分が反論可能であることにより、足を掬われる原因となりうるからです。

 

問題点は素人目にもたくさんあるのですが、今回は集団的自衛権に注目し、国際法の意義について少し考えてみたいと思います。そもそも国連憲章を厳密に解釈し、それに忠実であろうとするならば、こちらで扱って来た難民や死刑の問題などで、既に憲章に反している疑いの濃い日本ですが、今回は集団的自衛権に限って読んでみます。

 

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日本の文脈では集団的自衛権が一人歩きをしがちですが、国際連合憲章51条というのは例外的な状況への対応を示したものであり、それ以前の根本的なところに第一章の目的と原則があります。第一章2条4項を、今一度、引用しておきます。「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。」※2

 

平和主義は古来からあるものですが、国際的な協定などを用いて、各国が共同して暴力を制限していこうという流れは、20世紀に入ってからのものであるといえるでしょう。第一次世界大戦後にはパリ不戦条約により、国政の手段としての戦争の放棄を、第二次世界大戦後には国連憲章によって、より具体的に平和を作り出すことを約束するに至りました。国際的平和が全ての人類にとっての利益であるということは、今日では世界共通の認識となっています。

ではそれで戦争が無くなったかというと、そんなことは無く、世界は平和とは程遠い状況にあります。条約を結んだ国々も、戦争を放棄せず、その制裁も受けずに済んでいます。こういった場合に、抜け穴となるのが、自衛の論理です。国際法学者・信夫淳平の言葉を引くならば、「極端に云へば、如何なる戦とても正当防衛権又は自衛権の名に於て遂行せんとすれば為し得ぬでないから、不戦の約束は実は一片の気休めに過ぎぬのである。」※3ということです。そして国連憲章の51条もアメリカやロシアが使って来た抜け穴です。

このように戦争の放棄を謳う憲法9条第1項も、単なる気休めになりかねないからこそ、憲法9条第2項の冒頭に「前項の目的を達するため」※5とあるのです。パリ不戦条約もそうでしたが、身勝手な解釈は、効力を封じ込めることになりかねません。国連憲章51条が適用される範囲は「武力による攻撃(armed attack)」※4です。この表現一つにしても、何を含み何を含まないのか、大変曖昧なものです。国連に報告された集団的自衛権行使の例を挙げれば、コントラ戦争があります。アフガニスタン侵攻があります。アメリカがコントラを支援した理由は何であったでしょうか。9.11は誰による攻撃であったでしょうか。今なお混乱の続くアフガニスタンイラクの状況が、改めて我々に問いかけてきます。武力を使って構築した平和など、どこにあるのでしょうか。

 

不自然な解釈で自己を正当化し、誰にとっても明らかな本来の善き意志を踏みにじる、これは、現在日本で起きている憲法の扱われ方と重なって見えてきます。前出の信夫淳平氏は、国際法の意義をこう表現します。「国際法は国家の対外行動を是が非でも弁護せんがために存在するのではなく、その行動の曲直を一段の高所から法的裁断すべき基準たるに於て存在の意義がある」※3これも現在の日本の問題に呼応し、心に響きます。

 

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賛成派に回る、一般市民の動機としては有事への不安があるでしょう。日本のテレビは、近隣諸国との摩擦を報道する中で、そのような恐怖心を長年にわたり煽り続けています。何かあった時に誰も守ってくれないのではないか、アメリカとの関係が悪くなったら抑止力が無くなるのではないか。効果音やナレーションで、あからさまに視聴者の感情に訴える報道番組は見るに耐えないものがあります。

 

しかしここで、不安を煽る為に作られた極端な状況が起きた場合を、敢えて想定してみます。安保理常任理事国の拒否権が行使されることにより、日本が孤立する。もし日本が平和主義を貫き、全く理不尽な攻撃を受け、孤立したら誰も手を差し伸べてくれない、という仮定です。私はそうは思いません。少なくとも私の暮らすドイツ、私の知るドイツ人に限っては、断言できます。ドイツ人は弱者を見殺しにしませんし、理不尽を許しません。最近では難民問題への対応などを見れば分かることですが、西ヨーロッパにおける人道に関する意識の高さは、日本とは比べ物にならないものがあります。これが、政府の独走や机上の理想主義に限るものではなく、一般市民の価値観の中にまで根付いているものであるということは、普段から直に感じることです。万が一何かあったらと互いに武装を強化し合うのは、銃社会の論理に同じです。平和というのは信頼の中から生まれるものではないでしょうか。

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」※5日本国憲法の前文です。

 

 

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参考

 

※1 http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20150917-00049591/

※2 http://www.unic.or.jp/info/un/charter/text_japanese/

 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1060831

※4 http://www.un.org/en/documents/charter/chapter7.shtml

※5 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S21/S21KE000.html

 

 

カジャ・ニン「私たち全員を殺すことは出来ない」

 

 

先週ブルンジについて調べている中で、ブルジア人セレブ、カジャ・ニン、反大統領派のグループに参加という記事がありました。アフリカ連合サミットで彼女は、より強い外交圧力を呼び掛け、ロイターのインタビューには、欧州連合アフリカ連合より先に行動を起こすべきではないという意見を述べています。そして、もしそうなればアフリカ大陸の恥であり、アフリカ連合が形骸化してしまう、とその理由を挙げました。

これは、アフリカ出身者の話として興味深いものです。前回、前々回と、西欧諸国が西欧的思考様式、行動方式で他国に介入することが、問題を孕む可能性があることを述べました。ヨーロッパ人が恥という言葉を使う時は、例えば自国が困難にある人々を助けないというような場合です。介入の順について恥と表現するということは、面子のようなものが重要な意味を持っているということでしょうか。

ニンは、南アフリカ放送協会のインタビューでは、どれだけの国や著名人が三選を不当なものとしているか、どれだけの人々が地域の平和を確立する為に尽力してきたかを述べ、「私たちを殺すことが出来ても、私たち全員を殺すことは出来ない」と、大衆の意思が暴力に勝るであろうことを訴えています。

 

カジャ・ニンはブルジア人歌手と書いてありましたので、早速インターネットでCDを購入しました。ブルジアの歴史について少し調べたばかりですから、音楽や歌詞がより重みを持ってきます。その中から一曲、「サンボレラ」をご紹介します。ブックレットには歌詞の英訳もついて居ましたが、ところどころ分かりづらかった所は意訳しました。しかし元の言語が全く分からないので、誤って理解している部分もあるかもしれません。題名は“sambolera mayi son“、この訳でもう躓きましたが、サンボレラが固有名詞だと思われますので、これを人名とし、mayiとsonは、歌詞中の他の部分を一語ずつ照らし合わせるとmayiは英訳に反映されておらず、sonはsonのまま残してあります。そこからmayiは何か感嘆詞のようなもの、sonは息子の意と推測しました。そこで、戦争を起こす権力者である「彼ら」の身勝手さと、戦争の無意味さ、それでも強く生きて行くということを、息子のサンボレラに語りかける形で、歌ったものと考えました。

私が一番感動した段落が、日本語の語順だと台無しになりますので、横に英訳を引用しました。

 

 

 

 

サンボレラ

 

この世界は作り物だ

私たちの世界は狂っている

この世界の人々は

自分たちに嘘をついている

彼らは神ではない

彼らは人間にすぎない

あの悪意ある人々は

思いやりのかけらも無い

自分たちの事ばかり話している

そんな人たちが世界を手にしている

 

もしそれが神の意志ならば  

彼らもあなたの事を忘れていないはずだ

あなたに試す為の

機会を与えるはずだ

神を前にして彼らはなんと答えるのだろう?

肌の色の為に、神の為に、心を殺したときっと答えるだろう

 

どの神の為の戦争?          War in the name of which God?

どの色の為の戦争?          War in the name of which colour?

戦争は血の色             War the colour of blood

そこにはたった一つ、血の色しかない  There is only one colour of blood

 

多くの血が流れすぎる

彼らは生きることを堪え難いものにしてしまう

たった1人の人間の意思が

戦争を引き起こす

彼らは話していればいい

あなたの人生は続いていく

彼らただ話し続ける

でも心よ、諦めてはいけない

耐えなければならない

賢くあらなければならない

この狂気に怯えて生きていてはいけない

 

 

 

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〈参考〉

 

http://www.reuters.com/article/2015/06/12/us-burundi-politics-idUSKBN0OS1U820150612

http://www.sabc.co.za/news/a/475e190048b890daa43abf1447fc6207/Burundis-Khadja-Nin-joins-anti-Nkurunziza-ranks-20151206

http://www.khadja-nin.com

https://www.youtube.com/watch?v=NAY5Ai2quKY

ブルンジ争乱

 

 

今回はブルンジの争乱を取り上げたいと思います。ぐずぐずとしている間に時間は過ぎ、もはや時事ではなくなりつつありますが、それでも公開します。言い訳ですが、クーデターは失敗しましたが、まだ問題は解決されていません。クーデターは失敗しようと、選挙は延長されようと、事態が収束する気配はありません。今月に入って国連は、内戦状態へ突入することの危惧を表明しました。そしてこの問題が解決されようとも、更なる課題が山積しています。世界で最も貧しい国の一つであり、民族問題を抱え、国民総幸福量は調査国中最下位に挙げられています。

 

隣国ルワンダでの民族対立は有名で、報道のみならず映画化などもされています。一方ブルンジでもフツとツチの民族対立があり、それがやはり大虐殺にまで発展しました。この事実はどれほど知られているでしょうか。報道量の差は何に由来しているのでしょうか。

ブルンジ内乱は比較的小さくしか取り上げられませんでした、これは入ってくる情報の量にも関係していると思われます。日本の新聞では末尾に「か」をつけた形(「ブルンジでクーデターか」など)での報道が目立ちました。また、歴史的事件に関しても被害者数などに大変なばらつきがあります。文中では「x万~y万」のように、各資料より、一番少ないものから一番多いものまでの幅をそのまま示しました。

 

とにかく、自分がブルンジという国について何も知らないので、これを機会に調べてみたいと思い選びました。

 

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ブルンジ基礎知識〉

 

元々は王国。ドイツ、ベルギーの植民地時代を経て62年独立。66年に王制を廃止して以降共和制をとっている。首都はブジュンブラ、国民の大多数がキリスト教

 

 

〈4月末からの出来事〉

 

今回の争乱のきっかけは、憲法で2期までと定められている大統領の地位に、既に2期を務めた現大統領ンクルンジザが3度目の当選を目指し出馬を表明したことに始まる。

これを憲法違反とし、デモを行っていた反対派に警察が発砲、以降双方の間で衝突が起き、死者24~40名、けが人も多数出ている。分裂が表面化した軍内部で対立が激化し、放送局占拠を目指し大統領派と反大統領派がロケットランチャーやマシンガンを使って交戦をする事態へと展開した。このことにより、6月26日に予定されていた選挙は延期されたものの、複数野党はボイコットを表明しており、事態が収束する気配はない。

5月15日には大統領のタンザニア訪問による不在を機に、元諜報機関局長のニヨンバレがクーデターを起こすが、大統領側はこれを挫折したものと発表。蜂起主導者数名が逮捕された。逮捕者の1人であるンダイルキエは、クーデターは失敗したが、軍内部にも反大統領の流れがあることを示せただけでも成果だと話した。5月23日には野党UPD-Zigamibangaの党首が何物かにより殺害された。

 

ンクルンジザ陣営は、05年から10年の第一期は総選挙ではなく議会によって選出されたものである為、これを算入しないものとする。既に2度延期された選挙は7月へ延期されたが、大統領側は、これが最後の期日変更であり、大統領の立候補についても交渉の余地はないとする。

大統領陣営はまた、反体制側が2005年の停戦協定以来初めて銃器を使用したと批難するが人権団体の報告によると、前回の大統領選前にも与党側が複数の殺人や銃器を使用した襲撃、焼き討ちを行っている(全て未訴追)。別の人権団体は2010年以降少なくとも2300人の活動家が政府によって暗殺されたと報告する。

4月以降ブルンジを離れた人は11万人にのぼり、両親や保護者の付き添い無く自力で逃れてきた子供たちも900人にのぼる。タンザニアの難民キャンプではコレラによる死者が30人に達した。

 

反体制派によるデモは、大統領が出馬を表明したことに始まり、以降は、正式に党の代表として選出された(4月28日)ことに対し、裁判所が3期目に向けた現大統領の立候補を正当と判断した(5月5日)ことに対しなど、何かあるたびに、デモ隊が街へ繰り出しているという。しかし、このような事態は既に予測(もしくは予定)されていたものであり、かなり早い時期にそのことを伺わせる動きが見られる。

ちょうど1年前の14年4月、政府が若い支持層を武装化しているとの報告をした国連が国外退去処分を受けている。投票の半年前、14年10月には対立政党党首に誹謗中傷の罪で1年の判決を受けた。14年3月にはジョギングを禁止し対立する党であるMSDの支持者21名がジョギングにより終身刑を言い渡された。

 

 

〈インボネラクレ〉

 

ブルンジから逃げてきた難民の証言を国連が報告するところによると、与党CNDD-FDDの公式な青年組織であるインボネラクレが過激化しており、政府批判者などを法的な制約を受けずに、処刑・誘拐・拷問しているという。インボネラクレは与党の指示で動いており、国家警察や諜報機関から武器や制服、車両の供給を受けているといい、地域によっては実際に警察を超える実権を持っているようである。

インボネラクレとは、クルンジ語で「先を見る者」を意味し、党員は5000~5万人(党員登録をしていない賛同者を含めると200万人とする記事もあるが人口比を考慮すると不自然)に及ぶ。CNDD-FDDは経済成長などの社会発展に力を入れており、その政策を支持する若者や、高等教育を終えた党員も居る。そして党のことを考えれば大統領の出馬は望ましくないと考える党員も実は少なくないという。こういった内部の反対派は、暴力の更なる複雑化と悪化を回避するため、その意見を述べない傾向にあるものの、そういった流れがあるという事実が暴力の抑制に働いていると専門家は見ている。

 

武装している党員は内10%程と考えられている。今回の争乱では手榴弾などの使用も認められるが、平時も棍棒や山刀で武装し、野党支持者や政治的集会に参加した人々に暴力行為を行っていたという。党員は普通25歳以上~35歳以下であり、戦時期に子供時代を過ごした為に教育の機会を失った若者は多く、そういった若者に学歴無しでは決して得られない就職先を約束することで、政治家に利用されている、とある平和活動家は話す。地方ではより簡易に、小額の現金の為に暴力行為に勧誘される若者もあるという。

 

 

〈政治的対立と民族問題〉

 

今回の対立は2010年の選挙以降続いている政治的なものであり、民族的対立ではない。与党CNDDは紛争時にはフツ派の主流反対勢力であったが、与党にとって最大の敵であるFNLも、前身はフツ系反体制組織である。

しかし第一に政治的危機は、和平プロセスを壊すものである。そして05年まで12年間の内戦状態にあったことを考慮すれば、大変に危険な状態である。和平プロセスに於いても、過去を理解し許すという作業に於いても、民族の問題は付いて回る。そのような過去を持った国家では、民族政策も支持の基準になるはずである。ある活動家の話す所では、現与党の反対勢力時代からのメンバーは、戦時のメンタリティから抜け出しておらず、市民生活に完全には復帰できていないという。ンクルンジザ大統領も、72年の虐殺で父を殺され、93年の虐殺と内戦で人兄弟のうち5人を亡くしており、内戦時代は反体制派組織CNDD-FDDのリーダーであった。インボネラクレがコンゴで軍事訓練を受けているという情報があるが、コンゴ東部はルアンダ大虐殺の加害者が集団で流入しており、民族主義的武装グループも複数存在する。特にフツ系武装勢力FDLRがインボネラクレと結束することが危ぶまれる。

 

政治的対立による争乱も、それが民族的対立に波及する危険性は充分に高い。そのような危険性を国民が感じていることは、難民の数が示している。政治的あり方によって危険が及ぶのであれば、その危険は態度により回避できることになる。また、子供たちが親元を離れ難民となる必要も無い。短期間で大規模発生している子供を含む難民は、変えることの出来ない、何か「である」ことによって争乱に巻き込まれる危機感を国民が持っていること、つまりは彼ら自身における対立民族への不信を示しており、民族問題が現在も根強いということである。

 

 

〈民族対立の歴史的背景〉

 

ブルンジにおいて、ジェノサイドに該当する大規模虐殺は72年と93年の二度起こっている。

 

72年5月  ツチ中心の軍部によるフツの虐殺と報復

93年    多数派フツによるツチの虐殺と報復

93~05年  ブルンジ内戦 民族紛争期

 

前回取り上げたミャンマーと同様、ブルンジの民族対立も植民地時代の統治政府に責任が重い。ここでも中央集権化したい宗主国側が、便宜上、人々に身分毎の役割を与えた。そして、そもそもは共存していた複数民族が、差別化されるようになる。民族を明記した身分証の発行もこの時に始まり、教育面などでツチが優遇された。そういった背景から独立後も、13~15%程を構成していたに過ぎないツチが、政府・軍部の重要な位置につく。

 

65年、独立後初の選挙でフツ勢が多数派となる。それにもかかわらず王ムワンブツァ4世の指名を受けツチが首相に就いた。王の国外滞在中に、ツチであるミコンベロが権力の座を奪取し、王制に代わる共和国建立を宣言、そのまま初代大統領の座に付く。在任中の数年間に軍部・公務員の要職からフツを完全排除。69年には、反発するフツがクーデターを起こすも失敗、23名が処刑される。

 

72年、ムワンブツァ4世の息子で国王のンタレ5世が帰国する際に、王に危害を加えないというウガンダとの約束を反古にし国王は拿捕され、何物かによって殺害される。それに伴い大量のフツが逮捕されたことを受けてフツの反発が高まる。時を同じくして憲兵隊のフツによるグループが蜂起、ツチや、蜂起に参加しないフツへの無差別殺人を引き起こし、800~1200名の死者を出した。これに対しミコンベロ大統領に属する軍は大量虐殺を行う。当初は知識階級や軍事訓練を終えたフツが系統的に対象とされたが、やがてフツに対する無差別大量虐殺に発展、その死者数はフツ人口の5%、8万~30万と推定されている。多数のフツは近隣諸国へ逃れた。報復殺人によりツチ側にも3000~1万の死者があった。特に、フツの反乱勢力が、フツ中心の共和国建設をめざし戦った南部の攻撃では多数のツチ犠牲者を出した。

 

この72年虐殺はブルンジに今日まで続く憎悪の連鎖の始まりと言えるが、隣国ルワンダでの大虐殺を理解する際にも重要な意味を持っている。

 

88年フツを2名射殺した警察官がリンチされた。それに対し軍は2万人を殺害、5万3000名の難民が発生した。90年代に入ると、ウガンダで軍に入っていたツチのルワンダ難民がルワンダに侵攻、フツ政府とルワンダ愛国戦線の間で3年間に渡る内戦が始まる。

 

93年、初めての民主主義選挙により、ブルンジ初のフツの大統領、ンダダイエが選出された。しかし間もなく暗殺され、フツによるツチの虐殺が発生、その報復にツチによるフツの虐殺が行われた。2万5000~20万の市民が犠牲になったと報告されている。こういった二度の大虐殺、その他の抗争、迫害、及びツチ主導の国家体制そのものから逃れ、数十万規模のフツの難民がルワンダに避難した。

 

94年、和平協議の帰途にあったルワンダブルンジ両国の大統領搭乗機が撃墜されフツである両大統領が死亡。4月~7月にかけて80万の死者を出すルワンダ大虐殺が起こる。ルワンダ大虐殺後、虐殺に参加した戦闘員はコンゴに逃亡。ブルンジからの難民もコンゴ東部に多い。

 

以上のような憎悪の連鎖と報復殺人の繰り返しは、以降も続き、虐殺のあった93年から武装解除の05年までの12年間、もしくは2000年停戦協議までの7年はブルンジ内戦と呼ばれる。大小の虐殺で計1万5000人程の死者が出た95年をはじめ、多くの大量殺人や紛争状態が続き、この期間の死者は少なくとも25万~30万人と考えられている。

 

2005年より、国際社会の援助を受け、国を挙げた民主化に取り組んでおり、難民の帰省、各過激派の非武装化、及び保安分野への編入、新憲法の制定など、一定の成果を結んでいる。

 

 

〈外国による民主化援助〉

 

国際社会のコミットメントは民主化の流れを自分たちのやり方で援助してきたが、今回のような状況は、それを失敗例にしてしまった。民主的制度の中で権威主義は助長され、対抗勢力はいっそう弱体化した。2010年の選挙も、国際的な監視のもと公正に行われたにも拘らず、与党の圧勝の度合いは、国政選挙としては不自然であると疑う余地がある。

権威主義と長期に渡る権力維持は、ブルンジのみならず、アフリカの様々な国で見られる現象である。権力の長期維持は癒着や腐敗の原因となり易い。ブルキナファソ市民運動を経た政権交替をはじめとして、ナイジェリアやザンビア、マラウィなどで権力者が長く居座った座を降りており、これをアフリカ大陸に於ける民主主義の流れと見ることが出来る。

 

ブルンジにおける民主化の流れのあり方の問題を指摘するツァイト紙の記事から以下一部引用。

 

「遅すぎたブルンジへの心配」  http://www.zeit.de/politik/ausland/2015-06/burundi-unruhen より

ここで重要なことは、国際社会が安定を最優先事項としてきたことだ。激しい内戦や困難な和平プロセスという側面から、民主化プロセスの欠陥に対処することよりも安定に重きを置いてきた。しかし、この戦略が若い民主主義を弱め、依存関係を生み出し、それがまた、更なる民主化を停滞させる物でもある。今回の危機的状況は、民主主義だけではなく安定そのものに、その影響が波及していることを示している。

 

西欧社会はアラブ社会への民主主義導入で失敗を経験したが、アフリカ諸国で同じ失敗を繰り返さぬよう、それぞれの土地に合った介入方法を検討しなければならない。

 

 

〈感想〉

 

ブログ更新までの期間が少し空くと、書くスピードも落ちて、ますます更新が遅くなる。

 

 

〈参考記事〉

 

http://www.zeit.de/politik/ausland/2015-05/burundi-demonstrationen-polizei-tote

http://www.zeit.de/politik/ausland/2015-05/burundi-pierre-nkurunziza-praesident-putsch-militaer

http://www.zeit.de/politik/ausland/2015-05/burundi-putsch-ende-praesident

http://www.zeit.de/politik/ausland/2015-05/burundi-pierre-nkurunziza-wahlen

http://www.zeit.de/politik/ausland/2015-06/burundi-unruhen

http://www.faz.net/aktuell/politik/ausland/afrika/putsch-in-burundi-gescheitert-13594569.html

http://www.spiegel.de/politik/ausland/folter-in-afrika-uno-warnt-vor-buergerkrieg-in-burundi-a-1037986.html

http://www.taz.de/NULL/!5010832/

http://www.tagesspiegel.de/politik/die-krise-in-burundi-nach-dem-aufstand-ist-vor-der-revolte/11783804.html

http://www.independent.co.uk/news/world/africa/zedi-feruzi-killed-leader-of-burundi-opposition-party-shot-dead-in-bujumbura-10272563.html?origin=internalSearch

http://www.bbc.com/news/world-africa-13087604

http://www.bbc.com/news/world-africa-33060975

http://www.bbc.com/news/world-africa-26681586

http://www.irinnews.org/report/101418/who-are-the-imbonerakure-and-is-burundi-unravelling

http://www.ibtimes.co.uk/burundi-who-are-feared-imbonerakure-youth-1504301

http://www.news24.com/Africa/News/A-country-of-fear-20150503

http://www.ibtimes.com/africa-watches-burundi-coup-see-if-conflict-spreads-reignites-hutu-tutsi-ethnic-1919449

http://worldnews.about.com/od/africa/a/hutututsiconflicthistory.htm

http://mg.co.za/article/2015-06-11-fearful-children-flee-burundi-on-their-own

http://allafrica.com/stories/201506121733.html

http://www.hrw.org/ja/news/2009/06/03-0

http://www.nytimes.com/2015/05/19/opinion/bridging-burundis-dangerous-divisions.html?_r=1