時事メガネ

気になった時事問題を少し追ってみる

ジャーマンウィングス4U-9525墜落事故:報道のあり方について

 

 

このブログは、ドイツの主要紙を主な参考元にしていますが、先週のトップニュースであったジャーマンウィングスの墜落事故をテーマにしませんでした。その理由の一つは、事故の究明が進んでいないこと、もう一つは日本で既に大きく報道されていることです。

 

イエメンについても日本の全国紙などで取り上げられていましたが、やはり日本メディアの一般的な傾向として、世界情勢に関するニュースの取り扱い方が小さいと思います。

最近で、それを強く感じたのはイスラム国による邦人殺害事件の時で、一通りの報道が終わった後、どこを掘り下げるかと言うと、被害者のプライバシーに関わる領域に向かったりなどして、とても近視的な視点で報道されていると思いました。あのような事件があったときには、それを機会に、その背景こそが詳しく紹介されるべきであり、そういう広い視点での世界情勢こそが事件そのものよりも繰り返し報道されるべきだと思います。

とはいえ、背景と言っても、容疑者の何らかの属性を犯罪行為と短絡的に結びつける報道のあり方は、大変危険です。この例としては佐世保の高校1年生殺人事件が挙げられます。

 

そういう訳で、今週は事故そのものについてよりも、それにまつわる報道のあり方について考えてみたいと思います。

 

過熱報道に関しては、日本に限ったことではなく、ここドイツでも連日ジャーマンウィングス9525墜落事故に関して、様々な未確認情報や憶測が飛び交いました。

その可能性が高いという理由で、フランス当局が早急に容疑者を仮定したことも一因になったと思いますが、捜査段階では公表されない容疑者の名字や写真もかなり早い段階で大衆紙の一面を飾りました。(ドイツでは未成年犯罪や未確定の容疑者は、下の名前と名字のイニシャルで報道されることが慣例的。日本ほど下の名前が多様ではないこともありますが、家族親戚・偶然同じ名字の他人を守る為の良い方法だと思います。)

そしてボイスレコーダーの内容は、検察当局の会見前にメディアに流出しました。※1

 

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しかし一週間が経過し、出来事の衝撃が消化されてくると、一部読者から、報道のあり方に疑問を呈する意見が出てくるようになり、主要メディアではそれらに対応する記事が見られました。

 

4月2日には副操縦士のインターネット検索履歴に関する情報、3日には、飛行記録の解析結果が発表され、副操縦士への疑惑を裏付けるものとなっています。報道のあり方に関する以下の引用記事はそれ以前のものですが、疑惑が結果的に正しかったとして、早急な報道に問題があることに変わりはありません。

 

「誰もがメディア評論家」(部分・要約)

http://www.faz.net/aktuell/feuilleton/medien/germanwings-absturz-jeder-ist-ein-medienkritiker-13511170.html

報道過熱を煽動するのも批判するのもインターネット上であり、その双方が、今回の事件で今までにない程にまた加熱している。

こういったメディア批判にある報道編集者は「犠牲者を悼む為に視聴者が必要としている情報を提供し続ける」と話し、別のあるメディア関係者は「ツイッター上の生メディア批判も、追悼代理の一つだって思う」とツイートする。

 

「常時放送中」(部分・要約、括弧内は訳者註)

http://www.zeit.de/gesellschaft/zeitgeschehen/2015-03/medien-berichterstattung-germanwings-flugzeugabsturz

Live-Ticker系のニュース(サッカーの試合などに使われる時系列に出来事を箇条書きに追加して行く方法)では、大切な情報とそうでないものの境界線が曖昧になってしまう。位置付けも整理も説明もなく情報が羅列される。これはツイッターフェイスブックの思考方法だが、今回の大事件ではこういった混乱が大衆紙だけではなく全国紙や公共放送局にまで見られた。各テレビ局は特番を組み、その放送時間を埋める為に、何があったと考えうるかについて専門家の話を聞くなどした。

 

「覗き見としてのメディア」(部分・要約)

http://www.fr-online.de/leitartikel/absturz-germanwings-4u9525-medien-als-voyeure,29607566,30236278.html

どこまでが報道の義務で、どこからセンセーション欲と覗き見メディアになるのか、その線引きは難しい。報道関係者もが感情的にならざるを得ない今回のような事案では、硬派とされる媒体までもが、いわゆる大衆紙の後を追ってしまった。今日の時点で我々が手にしているのは、いくらそれが道理に適っていようとも、疑惑に過ぎない。他社との競争や売上げという圧力があっても、メディアが民主的社会のプロフェッショナルな介在者としての責任を果たすことで、不信や信憑性消失を乗り越えることが出来る。

 

 

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これらの記事からポイントをまとめると:

1.速度重視報道の加熱は、ソーシャルメディアの普及と関連している

2.メディア、特に正統な全国紙・公共放送は、読者の情報要求の波に流された

の2点に絞れるかと思います。

 

メディアが写真やフルネームの公開を自制したところで、そういった情報はインターネットに溢れ出します。報道関係者に報道倫理を守る義務があるならば、一般人の投稿も規制するべきでしょうが、そもそも規制しきれるのでしょうか。良心的な自粛を行ったメディアは、社会的に評価されたとして、その評価はどういう形で帰ってくるのでしょうか。

 

ソーシャルメディアの普及によって、情報は量的にも速度においても、大変な増加をした訳ですが、一番の影響は、それに伴い私たち人間のあり方がどう変化したかではないでしょうか。

フェイスブックツイッターなどでは、誰かの昼ご飯メニューから、独り言、それに答える独り言まで、本当に知りたい訳ではないかもしれない情報が交換されます。友達としてリンクされているよく知らない人の発信も、親友の発信も同等に時系列で表示されます。自分にとって比較的大切な人が比較的大切な情報を発信しても、その発信がそういう場での書き込みであったことによって、その発信内容は軽くなります。これらコミュニケーション方法の使用が常習化している場合、「知りたい情報」と「どうでもいい情報」の選択をする作業が必要なくなってきます。

 

受け取る側に読み流される情報は、発信する側も垂れ流すようになります。特定の誰かに、何かの目的を持って、ある情報を発信するのではなく、何となく発言することに我々は慣れてきていると思います。読み手にとって興味がないかどうかを検討する必要はありません。なぜなら読みたくない人は受け流せば良いからです。こういった発話態度が、メディアにおいても散見されるのが先週からのドイツの状況です。電子版フランクフルターアルゲマイネはフルネームと写真の公表を釈明するコラムにおいて、フランス当局の発言を根拠とした上で、「誰もニュースを見続けることを強制されていないが、知りたい人も居る、この選択は個人の自由であり、誰にも奪うことは出来ない」としています。※2

 

ツイッターにおいても「ひでぇ」という類いのツイートが大量発信されたのが良い例で、これは誰かに何かの目的で伝えるコミュニケーションとしては機能しません。ドイツ語ではnIchtssagendという丁度いい表現がありますが、発話内容はあまり何も伝えていません。その場合、発話の行為の重点はその内容から、発話すること自体に移行します。つまり「ひでぇ」は、発話者の出来事への参加意思を表します。発言それ自体は、人間として普通の行為であって、ソーシャルネットワークなどなくても、身近な人に「大変な事件だね」と話すことと同じですが、異なるのは読み手になりうる不特定多数の対象の存在です。特定の発話者と受け手の居る、閉じられたコミュニケーションにおいては、話された言葉、発話内容が会話という行為の目的です。これに対し特定の対象を持たない開かれた発話においては、発話者が話すと言う行為そのものが目的化します。

 

この発話主体の突出は、黒いリボンのロゴにもいえることだと思います。シャルリーエブド事件の際は、「私はシャルリー」の標語を皆が張り切って掲げていて異様でしたが、ジャーマンウィングス墜落事故にも黒いリボンに4U-9525のロゴが用意されました。被害者を悼む気持ちは私も同じですから、こういう形での意思表示は理解できますし、それ自体は良いことだと思います。ただ、ワンクリックで賛同できるこういうロゴの普及によって、追悼することが安直になり、また安直であるが故に参加せずには居られない、自己主張の強い共感の波が加速させられると思います。

 

そういう私もソーシャルネットワークに対するモラル・パニックに乗っているではないかと思われるかもしれないので、あらかじめ弁解をしますと、ソーシャルネットワークを批判している訳ではありません。私自身、ここでこうして密かにブログを書いておりますし、インターネット無しには調べ物もままならない現代人です。ではどうやって我々現代人がそういった新しい媒体をうまく使いこなすべきかというと、やはり我々受け手が正規の報道機関には、正規の報道規制を守ってもらいたいという意識を持ち続けることだと思います。

前出の電子版フランクフルターアルゲマイネはフランス当局と仏航空事故調査局BEAの発表を根拠として、副操縦士の犯行と断定していますが、最初の実名報道は26日の14時、この時点でBEAはまだ見解を示していません。もう一つの根拠であるそのフランス当局の発表はそれでも「捜査の前提となる最も濃厚な線」についてでした。実名報道の際にはフランス当局の仮定を引用し、その実名報道に対する釈明では、副操縦士を断罪し実名報道を正当化しています。更にはBEAやフランス当局の権威をその信頼性の担保にしていますが、そのような権威を当の新聞社が持っていることを意識した上で仮定を断定に置き換えて報道しているのでしょうか。

 

 

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モラル・パニックに関して、副操縦士の個人情報以上に気をつけなければない問題が、「鬱病」に関する報道です。

 

シュピーゲル誌の記者が、6年前に航空士養成訓練を休んだことについて「きっと燃え尽き症候群鬱病」という「友人たち」の話をツイートすると、いつの間にか「副操縦士が鬱病を患っていた為に無差別道連れ自殺をした」というニュアンスになり広く伝えられました。この情報拡散はルフトハンザ社の発表より早い時期であり、もう一つ重要な点が6年前の話をしていることです。例えば、副操縦士が通院していた医療機関の一つであるデュッセルドルフ大学病院は、副操縦士の通院は認めたものの、「当院で鬱病の治療を受けていたという報道は正確ではない」と説明しています。※3

 

こういった流れの中で、ドイツ主要紙で最大手であるツァイト紙とフランクフルター・アルゲマイン紙が、それぞれ29日と30日に、鬱病への偏見助長に警鐘を鳴らす記事を掲載しました。良い記事なのでガッツリ引用したいのですが、短い引用に納める為に統計的内容は先に別資料で挙げておきます。

 

ドイツ国内での統計(ランダム・サンプリング)によると、過去12ヶ月に鬱病にかかった成人(18歳から65歳)は、11%(5~600万人相当)。人生において一度は鬱病にかかる人の割合は19%。※4

つまり大体10人に1人が今年鬱病にかかっていて、5人に1人が人生に一度は鬱病になるということです。

 

 

鬱病の人は、他人に苦しみを与えることを望まない」(部分・要約)

http://www.zeit.de/wissen/gesundheit/2015-03/depression-copilot-flugzeugabsturz-stigmatisierung-psychische-erkrankungen

 

副操縦士が患っていたとされる疾患の種類や程度など、その詳細を捜査当局が発表していないにも拘らず、各メディアは「関係者の話」として憶測を大々的に報じ、犯罪行為と結びつけている。

鬱病は喜び・食欲・性欲・やる気・集中力の低下、不眠・疲労など、様々な症状をもたらすが、その中に外に向かう怒りはなく、「私の見てきた患者に、他人を苦しめる願望を持っていた人はまだ居ない」と話すライプツィヒ大学病院精神病院院長は、事件に関する様々な憶測が病気への偏見を高めないことを望む。

(表面化しているだけで)人口の6%がかかる鬱病が危険な存在ではなく、糖尿病や高血圧と同じ国民病であること、航空機墜落事故と鬱病を関連づけて報道するメディア関係者はこのことを肝に銘じるべきである。

 

 

「ー鬱病は殺人者を作り上げないー 我々の心に潜んでいた不安」(部分・要約)

http://www.faz.net/aktuell/feuilleton/depressionen-machen-keinen-massenmoerder-13512760.html

 

何か我々の理解を超えたことが起きた時、我々の最初の反応はこうだ:普通じゃない!そんなことを出来るのは精神病患者か気違いに違いない!しかし我々は、戦争や紛争において、最も凶暴な大量殺人を遂行するのが、いわゆる普通の人だということも知っている。

鬱病の診断を受けた者が顕現期に、航空機やバス、電車を操縦してはいけないというのは、自殺の危険があるからというのが先立つ理由ではなく、反応やコミュニケーションに障害が出る恐れがあるからだ。このことは重度の糖尿病、発作、循環器系の病気や、重大な視覚障害などにも当てはまる。鬱傾向にある人の暴力行為は大変稀であり、ある精神健常者が暴力行為を犯すリスクの高さは鬱病患者の倍だ。

埋もれていた不安を呼び覚ます今回の航空機事故のような出来事を通じて、偏見をもって自分と違う人に対峙するようになるのではなく、これを機会に、物事よりよく理解し、客観的になることが求められるべきだ。

 

同様の警鐘を鳴らす日本語のブログもありました。

「【ドイツ航空機事故原因】副操縦士のうつ病報道で危惧される偏見」

http://taijinkyofu.com/deusche-flight-2355

 

 

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言うまでもないことですが、過熱報道は元をたどれば我々の知りたいという欲求に行きつきます。今回の事件に関しては、大衆の知りたいという欲望の大きさと、その時点で明らかになっている事実の量のバランスがとれず、何かしらを伝えなければならないメディアを過剰報道に向かわせました。

そこで、そもそも我々は何を知りたいのか、そしてなぜ知りたいのかについて少し考えてみたいと思います。

 

知りたさの動機、好奇心は、二つに分けることが出来ると思います。一つは、明日の天気やコアラの生態など、知らない状態が不安を呼び起こさない場合です。もう一つが、今回の事件についての詳細など、知らないことが落ち着かない状態にさせる場合です。一見すると、事の重大さがこれらの違いのように思えますが、注目されない重大事件も多々あることを考慮すれば、違いは重大さではなくスキャンダル性にあるといえます。

ここで、事件の重大性とスキャンダル性の区別を整理すると、重大性というのは社会に対する実際的な影響・危険度に、一方、スキャンダル性は、前例のなさ/予見の難しさに由来します。つまり前者は社会にとっての現実的なリスクであり、後者は社会という構造そのものへのリスクです。なぜなら、ある犯罪が我々の想像を超える時、それは我々の常識的倫理規範を脅かすものであり、つまりは社会が社会として成り立つ為の信頼を破壊するものです。

このような状況下で、「常識的」の裁定をする大衆が、団結しその脅威に対抗する為、対抗する対象/怒りの矛先を求めます。不安を和らげる為に、知りたいという欲求が生まれ、知ることが出来なければ不安は増す、こうして我々はスキャンダラスな事件について、犯人の顔や名前などを見たがります。

先の引用「誰もがメディア評論家」では、内容のない緊急特別番組を皮肉って、「(その番組を見た後で)人が賢くなるかではなく、ましな気持ちになるか(どうかだ)」としています。

副操縦士の顔も名前も我々にとっては結局、捉え所の無いものです。それらの早急な開示は、我々を早めに「ましな気持ち」にするものだったといえるでしょう。

 

もう一つ、知らないことが不安な状態にさせるものがあります。これはソーシャルメディアにおける書き込みです。何かしらのソーシャルメディアを激しく使い込んでいる人は、必要以上に更新情報を監視していて不安な状態にあります。上述のツァイト紙のコラム「常に放送中」は記事の末尾で問いかけます:(こういった報道のあり方は)メディアのせいか、閲覧者/視聴者のせいか。要求を満たす為の時系列報道か、それともそれによって沸き立たされる要求か。

災害時などに、大衆を管理する権力者が、社会的混乱を恐れるがあまりに陥るパニックのことを指す、エリート・パニックという概念があります。この概念を転用するならば、今回の早期報道の流れはメディア・パニックとでもいえるでしょうか。

 

報道機関の各弁明記事において、大衆の知りたさは犠牲者への追悼行為の一環であると言う論調が多く見られました。

被害者へ同情が大きい程、大衆の怒り、加害者への攻撃度は増すことから、大衆は被害者とともにあるという考えでしょうが、私見では、こういう場合の共感はより根源的な集団行動の形態であると思います。恐怖の共有は動物のコミュニケーションの原型であり、一時的な情動の働きです。犠牲者への哀悼というのは、感情の働きによるもので時間が掛かるものです。

 

 

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最後に:最近日本でも、未成年犯罪者の情報を週刊新潮が公開した件がありましたが、このときの根拠も今回と同じく「事件の残虐性と社会に与えた影響の大きさ」を鑑みてというものでした。社会への影響とは何のことでしょうか。地震情報や、まだ捕まっていない犯人グループなど、社会に危険を与え続ける事件ではありません。該当事案の社会への影響の大きさは、社会の事件への好奇心の大きさのことでしょう。これはまさにスキャンダル性です。

先に述べたように、スキャンダル性の高い事件が社会が社会として成り立つ為の契約を大きく損傷するものである以上、週刊新潮の弁疏も理に適っているように聞こえますが、現存の報道規制を守るということも社会の約束の一つです。事の重大さというのは一つの問題、一貫した態度や基準というのはまた一つの別の問題です。

 

 

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脚注(引用した記事は該当部分に典拠)

 

※1

http://www.abendzeitung-muenchen.de/inhalt.airbus-absturz-piloten-beklagen-geheimnisverrat-bei-germanwings-ermittlungen.33179ca9-99f8-40fa-8a77-f182285adffc.html

※2

http://www.faz.net/aktuell/gesellschaft/absturz-in-den-alpen/warum-faz-net-das-bild-von-andreas-lubitz-zeigt-13509080-p2.html

※3

http://www.n-tv.de/panorama/Copilot-wollte-eines-Tages-etwas-tun-article14797286.html

※4

http://www.rki.de/DE/Content/Gesundheitsmonitoring/Gesundheitsberichterstattung/GBEDownloadsT/depression.pdf?__blob=publicationFile